2014年1月5日日曜日

ニッポンのジレンマ 司馬遼太郎の「この国のかたち」とグローバル化

NHKのニッポンのジレンマ、元旦のテーマが「この国のかたち」。司馬遼太郎の同名のエッセイ集から得たテーマのはずだが、番組での議論は全くそれを踏まえたものではなかった。司会者からのテーマの由来の説明がなければ若い参加者の中にはそんなエッセイ集があるとさえ知らずに議論に参加しているもの居たのではないかと思えた。

司馬遼太郎のエッセイ集は「アメリカ素描」など何篇かは読んでいたが、「この国のかたち」についてはまだ読めずにいた。今日、6巻中の第1巻を読み始め、その半ばまで読んだところだが、その知識の豊かさ、広さ、深さと共に洞察力の深さに驚く。単に私が不勉強なだけなのかもしれないが、今まで自分の中で違和感の残っていた日本の歴史的事件について、その歴史的、地政学的背景を踏まえた世界及び東アジアの政治的、経済的な文脈の中で、それが発生する過程が無理なく説明されている。

この第一巻の前半では、おそらく生涯の課題であったであろう「なぜこの国はあの戦争をすることになったのか」についての司馬氏の精いっぱいの考察に終始している。日露戦争の講和条約の結ばれた明治38年から昭和20年まで、即ち1905年から1945年までの40年間を日本史の中の異質なものとして、またその理由を参謀本部による統帥権の濫用として、そうなるに至った歴史的な経緯など、その異質性を分析している。

「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に生まれたのだろう?いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と言われるように、司馬氏は数々の歴史小説を執筆する上での調査や分析、洞察を重ね、日本の、日本人の民族的な傾向や美意識、価値観、思考と行動のパターンをなぞり、世界と東アジアにおけるその地政学的なポジショニングと国内情勢の流れから、この国でそれぞれの時代において、歴史的な事件が、どのように発生して、どのような結果を生じたのか、その時代にそれぞれの役割を担った個性のある人物像を通してシミュレーションし、再現しようとしたのではないか。そして、それを先の大戦についても行おうとしていた。実際には、当事者として参加した戦争、生身の人間として過ごした時代について、同様のことはついに成し得なかったけれど。

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今の日本の政治的状況並びに日本を取り巻く国際情勢は、当に司馬遼太郎氏が明らかにしようとした、この国の在り方を問われる時。この国を先の戦争に導いた「なにか」を明らかにするべき時だと思う。
それが出来るのはその戦争を(体験として)知らない世代と、その戦後を(体験として)知らない世代なのかもしれない。そして、それらを直接体験した世代は、歴史として、次の世代に学ばせ、それを明らかにさせ、この国の在り方を定めさせる義務があるように思える。


2014年1月2日木曜日

グローバル化について NHK ニッポンのジレンマ - キーワード

日本のジレンマ

ボクらの範囲は何処まで入るのか。

日本は高度に発展した途上国。

単一の日本を作ることが戦後日本の目標。これが東京一極集中を招いた。

行政や国は当てにならないけど、実験場としては面白い。

戦後の価値観を達成できる人が少なくなってきた。価値観が多様化してきている。

ソーシャルリクルーティングサービス、仲暁子。

はあちゅう、伊藤春香。半径5メートルしか考えない。その中で起きることから世界へ繋がっている。日本の形を考えるのは偉い人。

国を意識することは余りない。足元から積み上げるしかない。

先崎彰容。現代社会の速さについていけない。モーターの速度があがってきている。

施光恒。この国、より、我が国。互譲互助の精神の国。

自分の周りの小さなものが壊されてしまう。これを守るのが国家。

自治から国家が生まれたのか西洋。日本は違う。城壁ではなく海で守られてきた国。城壁を意識しなくても良い。

軍事的な対立が高まって初めて国を意識する。

起業コストが非常に低い。世の中を変える為のインフラが整っている。

これからはインフラを維持するためのコストを払えなくなって来ている。

ホームランドとしての国はあったが、ステートとしての国はなかった。インターネットなどで外国を意識し出して、ステートを意識せざるを得なくなった。

個人と国家、というより共同体で繋がりたい。

ネットが人をつなぐ。

家入一真、起業家。国は居場所を作って来なかった。居場所を失った人がネットに集まっている。たまたま成功しただけ。

シェアハウスのコミュニティ、共同体が発展したものが国家に繋がる。
擬似マトリックスの世界を作って住んでいる人もいる。

自分と他人との摩擦を生じる。それに対応出来ずに起業したりできる人は、実は特殊。国は他国との関わりから逃れられない。国家は何かしてくれるところではなく、折り合いをつけて行くもの。

シェアハウスの人達は、擬似的な家族を作ろうとしているのかもしれない。

ネット上の属性はリアルとは異なる。

選べる5メートルと選べない国家。

共通点で繋がるネット。異なる人が集まってなんとかやって行く社会、政治。

プラットフォーマーとユーザーの視点の違い。

ネットの向こう側に全部置いてきている若い人が一杯いる。

国家、強者と弱者のバランスを取ること、場を保つこと。

シェアハウスをつないで国を作る?

外圧で変わる国。思想はいつも外から来るもの。

江藤淳と三島由紀夫。鼻を摘んで通り過ぎた三島。匂いをかいで呼吸を乱したという江藤は、戦後の変化を覚悟を持って引き受けた。グローバル化とはそういうもの。

白井聡登場。この国は溶け出している。国家機密保護法の成立は戦後民主主義の否定。

この国はダメなんじゃないか。民主党のゴタゴタ。

ダメダメというだけじゃダメ。アクションを起こせ。

一気に世の中を変えることは出来ない。今を作ってきたのも自分達であることは否定できない。

民主主義は権力をコントロールするデバイス。使わなければ意味が無い。

今の政治に何を言っても意味は無い。やるだけ無駄。

日本人は生物としての本能が欠如しているのでは?今だに東電も経産省も存在しているのは何故か。

我々は舐められている。
政治とはスルーするもの、という価値観が根付いている。スルーできなければ困るくらいのもの。

政治の敵対性はどうなっているのか?社会運動と政治。友と敵の区別。

半径5メートルと、半径5キロの世界が、グローバルの影響を考えざるを得ない。

日本は自然災害などで常にリニューアルしてきた。人や物が動いてきた。

艶、何か新しい、いいものがある予感。

今、結構満足しているから?
秋葉原事件。

階級による労働環境の差。

満足はシニカル。社会は変わらない。

自由な非正規社員の不自由。

政治の役割は社会インフラ、社会的基盤の整備。居場所作り。

この国の文化。

地方の循環社会があった。談合はそれなりに意味があった。

全体最適の議論。
部分最適の話は、
英語は勉強すべき。
プログラミングは学べ。
東京、シリコンバレーに行け。

母語で国を作れる世界をめざせ。
ものを考えていることは重要。
日本語で物事を考えることが出来て、文化的なものとして考える。

日本はツヤツヤしてるぞ。ワクワク感がある。

日本人の議論はお互いに批判し過ぎ。ネガティブ過ぎ。

国は人。変えたいと思っている人をサポートしたい。行動を起こすこと。多様性があって良い。政府はインフラを揃えよ。チェンジは確実に増えてる。

日本の対米従属。日本側が先回りして自主自立を放棄。社会の体力をつけろ。空疎なグローバル化が日本を溶かしてきた。

ブータンの幸福指数?日本は貧しくなってくると幸福度は確実に上がってくると思う。国は溶けても、小さな共同体のような形で残って行く。

部分と全体の関係は重要。
動員、人を動かして行くことは重要な仕事。

与那覇さん。意識の高い人ほど国にコミットしない。司馬遼太郎のこの国の形、を意識せざるを得ない世代。1970年以降に生まれた世代。これからは戦後を知らない世代。国のことを意識しないでも生きてこれた時代が続いてきたが、これからは意識せざるを得ない時代が来ている。

逃げられないなかで、妥協点を見つけようと出来るのは、言葉の力。まだ議論ができる余裕があるということ。


グローバル化とグローバル人材

グローバル化についての再考察、または備忘録。

グローバル化の意味するところは人それぞれの立場や心理的な状況によって異なり、また社会の中で担う役割のどの部分で反応するかで変わってくる。

「グローバル化」という言葉を最大限に一般化するとすれば、個人やコミュニティ、共同体の在り様に対して、国境を超えたところで発生した事象が直接的、間接的に与える影響が、対応を必要とするほど大きくなってきたということ。

これは世界的な社会現象であって、良い悪いとか、するしないとかの問題ではない。この社会現象の捉え方、この現象にどのように対処するかの方針や方法を考察することが、個人、コミュニティ、共同体、地域や国にとっての課題である。

この課題に対する解決の為に必要な議論は、現在起きている世界的なグローバル化と言う社会現象の実態と、その影響を受ける個人、コミュニティ等の属性から受ける影響の内容とその評価を明確にする事。そして回避又は軽減することが必要影響を事前に予測し、発生した場合に影響を最小限にとどめるための施策を策定し実行すること

即ちグローバル化に係るリスクを管理すると言う事。

グローバル化の実態の把握と、そのリスクを回避すべき主体、グローバル化と主体の主な関係を分析する。グローバル化の議論が横滑りして結論が出せないのはこの議論を抜きに発言者が自分の立場と知識だけで議論をしがちなため。